他人の哀しみやつらさを理解することって結構難しいです。
いじめられている子どもの気持ちは、そういった経験のない人にはなかなか分らないからついつい、いじめる側にまわってしまいがちではないでしょうか?いじめられる方にも悪いところはあるんだ、という考え方は強者の立場だから言えるのです。
いじめという弱い者の立場を経験したことのある人なら、容易にそのつらさを理解することが出来ます。
また、自分の親が死んでしまったとき。そのつらい気持ちを即座に理解して、言葉はなくともいやしてくれるのは、同じく身内を失った哀しみを知っている人でしょう。配偶者を失う哀しみは親をなくす哀しみよりももっとつらいかもしれません。子どもを亡くすのはもっともっとつらいことでしょう。
どれほどつらいのか、その経験のない者は一生懸命想像して、寄り添う努力をしないと、理解できないことです。そして、そういう努力はつらいので、なるべくしたくない、近づきたくないと思うのも正直な人間の弱さかもしれません。
イマジネーションをたくさん働かせなければつらい気持ちの人に寄り添うことは、とても難しいと、お玉は思います。
ん?何が言いたいかって??
先日来お玉の記事に書いてますが、今、どんどん戦争を体験した方々が旅立たれてしまってます。お玉が子どものころならどこからかは耳に入ってきた、「戦争中はねえ・・」という言葉を今はほとんど聞くことはないように思います。
映画や小説などの「作られた世界」でみる悲惨さや、勇ましさではない「生」のお話を聞ける機会がどんどんなくなってきました。
「平和がいいなあ」とただ漠然と思っている人は、たぶんすばらしく論理的に改憲論を唱えられると、その方がいいように思われてしまうかもしれません。お玉はそれが一番怖いです。「漠然と平和」でずっといられた日本だから、戦争のつらさが分らない。
イマジネーションをはたらかそうよ・・・・テロで人が死ぬってどういう事だろう?イラクで殺された子どもの親はどんな気持ちだろう?戦争の出来る国ってどんな国だろう。
今日、トリノの開会式でオノヨーコを見て、イマジンをきいて、お玉が感じたことでした・・・・・
お玉、平和主義者のキュウちゃん派(護憲派)同志を増やすべく人気ブログランキングにエントリーしてます。(^^)

















