村野瀬玲奈さんがお玉の3月17日の記事「ビラ、チラシのポスティングがたとえ迷惑行為だったとしても裁判にかけるか?普通」関連のメールをお玉の家を通して送ってくださいました。あまりにも良く考察されているので、記事として紹介させて頂きます。
〜以下転記〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2006年3月18日の「立憲主義を支えるために声を上げ続ける」のエントリーのコメント欄の最後で、この件勉強する、と私宣言してました。地裁・高裁の判決文はもちろん、いろいろな意見もインターネットなどから集めて作ったA4版約440ページの資料を読んで、検討し、考え、やっと「勉強した」と言えるところまできつつあります。時間はかかりましたが(^^;
ここでは要点だけ書きます。ここで省いた論点について意見がある方には、「それは、それらの論点を私がわざと無視したからではなく、重要度が相対的に低いからです」とあらかじめ申し上げておきます。私が作った資料には、インターネット上で見つけることのできるような論点はほとんど全部入れたつもりです。それらはいつでも提示することができます。
1. 民主主義社会(国家)における言論・表現の自由
真の民主主義国では一般に、(ビラ配りを含めた)表現の自由はきわめて重要な価値を持つことが認められている。
なぜなら、国民一人一人が参政権の行使などを通じて民主政のプロセスにかかわるための自分の政治的意思を形作るためには、一人一人が自由にさまざまな意見に接し、考え、取捨選択する必要があるから。また、民主国家では、国民は自らの政治的主張を実現させるために互いにはたらきかけあうことによって合意を形成してゆくことが欠かせない。このような合意形成のためには国民が互いに接触をすることも必要で、そのための経路はできるだけ多く確保されていなくてはならない。それぞれの意見を持って互いに自由にはたらきかけあうことを否定するのであれば、民主主義は成り立たない。
したがって、表現の自由、特に政治的表現の自由に対する規制は、経済的自由にたいする規制よりも慎重に、厳格な要件のもとでのみ許される。
その一方、業者の宣伝広告などの「営利的表現の自由」は、民主政との関わりがとぼしく、政治的表現の自由とくらべて相対的に価値が低い。だから、ピザのビラ配りなどを取り締まらないのに、政治的思想・信条を表明するビラの配布を取り締まるのは、真に民主主義の社会においては本末転倒。
2. 事実認定(特に、地裁判決に基づいて)
「立川自衛隊監視テント村」のメンバーのビラ入れの様子は平穏であった。ほぼ放置されている商業ビラが入れられている宿舎共同スペースにはいって、ビラの受け手である自衛隊員に「一緒に考えましょう」などと呼びかけるビラをドアポストに投函しただけ。ビラに書かれた意見を暴力的・脅迫的に強制するものでもなく、面会や応答も求めていない。ビラ入れそのものも、少人数で宿舎の敷地に入って投函して帰ってくるだけで、頻度から見ても平穏そのもの。ビラにも連絡先が明記されていた。このように、地裁の無罪判決での事実認定を見ても、この団体の性格もビラ入れ活動も特に過激とはいえず、高裁での逆転有罪判決でもこの事実認定に異議が唱えられているわけではない。
(「監視テント村」という名前だからといって、被告たちが個々の自衛隊員やその家族の生活を監視しているわけではない。地裁判決の中の、この団体の活動開始のいきさつについての事実認定を参照。)
したがって、居住者のプライバシーを侵害した程度も法益の侵害も相当に低い。
ビラの内容については、当時マスコミや世論にあった自衛隊イラク派遣反対の意見と大きな違いはなく、ひとつの政治的意見である。社会の破壊やテロリズムをめざす反社会思想ではない。使われた用語も、政府による自衛隊イラク派遣を批判する文脈で用いられていて、個々の自衛隊員、その家族、自衛隊そのものへのひぼう中傷ではない。
これらを地裁判決では具体的に検証しているが、高裁判決では抽象論のみで詳しい検証を欠いている。
3. そのほかの論点もかなりいろいろ検討したけど、被告を有罪にすることに賛成する意見には、事実認定、事実評価、論理などが「なんだかなー」というか、無茶なものが多かった…。それらへの詳しい反論も書いたけど、今は省略。
簡単にいうと、ビラ入れの被告を有罪にすることに説得力をもたせたい人は、たとえば以下のことに説得的な論理を示すことができていない、ということ。
-住居侵入罪が適用されて「法律的に有罪」と判断されるための基準。
-ビラ入れの被告を有罪にすることに賛成の論者は「迷惑」と「言論の自由」を比較して「言論の自由はあるにしても迷惑をかける自由はない」と論じているのだから、「迷惑」の法律的定義を示す必要あり。
-「迷惑」が法律的に刑事罰と判断されるための基準。
-言論が居住者へ届けられることを宿舎管理者が妨げること、つまり、民主主義の前提である意見の自由な流通を妨げようとする思想のもとで、どのようにして民主主義が可能なのか。
-他人のブログが自分とは反対の意見を主張している場合、そのブログの管理者が反対意見が書き込まれることを迷惑と感じるときに、そのブログに反対意見を書き込むことが正当化される理由。(ある意見に反論したいのなら、これは大切なポイント。)
4. 私の結論としては、被告は無罪であり、そもそも不起訴であってもおかしくなかった、ということです。
いかがでしょう、お玉さん、みなさん。約束を守れてほっとしています♪
「有罪派」、「無罪派」を問わず、こういうことを私が思いつくきっかけを作ってくださった皆さんと私が参考にしたすべての資料に感謝しています。
村野瀬 玲奈
〜転記ここまで〜〜〜〜
村野瀬さんお疲れ様です。実は彼女には何度かメールでブログの開設を勧めてるのですが、こんな素晴らしい考察をうちのようなところで紹介させて頂けて、本当にありがとうございます。m(_ _)m
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村野瀬 玲奈さま お疲れ様です。参考にさせていただきます。