2006年11月27日
道徳の授業教材(その4)
ずいぶんいろんなコメントが寄せられました。
みんな、有り難う!!
さて、このハインツのモラルジレンマについては参考文献を使って解説下さっているココが分かりやすいと思います。
多くのかたがおっしゃった、ドロボウしてでも薬を奥さんのために手に入れるべきというのは
6.個人的理念に基づく道徳性 個人的な道徳原理によって行動が決定されますが、その原理は全体的、大局的、普遍的な方向性を持ったものです。つまり、正義や尊厳、平等などに高い価値が置かれるのことになるのです。
に当たります。処罰を受けようとも人の命を救う事は尊い・・ですね。
さて、ここからお玉がやっと見つけたモラルジレンマの何が気に入らないのかという話です。先に紹介したサイトにあるとおり、コールバーグの理論はキャロル・ギリカンという人によって批判されました。
ギリガンは、コールバーグの理論は男性的な「正義の倫理」という観点に偏りすぎており、もっと女性的な立場から「他者へのケアの倫理」にも目を向けるべきだと主張しました。
そう、この一連のお玉の記事でずっと引っかかったのは押しつけでないといいながら、その根底に流れている正義の論理です。ハインツはもっと話し合いをしてもいいんじゃないか?まさお君はおばあさんの家に水やりに行ってもいいじゃないの、ポン太とリンリンは柿を半分ずつわけっこしようよ。ってな考え方、これが「他者へのケアの倫理」ではないでしょうか。
ギリカンが提示したしたモラルジレンマ・・・ヤマアラシとモグラの家族の話はヤマアラシのお願いを聞き入れて一冬を同じ洞穴で暮らそうとしてくれたモグラの家族がヤマアラシの針に引っかかれて困ってしまい、でていってくれるようにお願いする、でもヤマアラシはそれを断って逆にモグラたちに出て行けと言い返すお話です。
男性的倫理観ではモグラの家なんだからヤマアラシにでていってもらうと言う答えが「正義の倫理」として、解決の方向性とされるようですが、女性的な倫理「ヤマアラシに毛布を掛けてあげる」がコールバーグの言ってる「正義と自立」の道徳性から見ると道徳的価値は「劣っている」ことになる・・・ココに私たちは違和感を感じるから、お玉の一連の問い及びその答えの導き方にみなさん憤りを感じたのではないでしょうか。
ヤマアラシに毛布をかけるはコールバークの理論では道徳性発達の第三段階なのだそうです。評価が低い・・・(^^;)コールバーク自身も批判を受けて、多少理論の修正をしたそうですが、アメリカではいろいろ批判を受け、受け入れられなくなった理論だそうです。
正義と自立の観点から道徳性を定義した「モラルジレンマ」・・・そして、それとセットになって教えられる「心のノート」
日本のこどもたちはどこに向かって未来を歩いていくのでしょう。
今後は道徳の授業からますます目が離せなくなりそうです。教育基本法改正問題。こういった具体的な事をみんなに知ってもらうことも、説得力を持って反対してもらうために必要かな、と思いました。
最後にこんな問題・・これはテレビに取上げられてたお話です。
主人公のマルコは王様のお城を守る門番である。マルコが番をする門には、「戦いに行くときにしか決して開けてはならない」という決まりがある。この決まりは、昔この門を開けて敵に攻め込まれたことから、王様が決めた決まりである。ある時、狩りに出かけた王様は、ひどい熱がでて急いで城へ帰らなければならず、近道であるマルコの門へ向かった。門番として、家来として、マルコは門を開けるべきか、開けるべきでないか?
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この記事へのコメント
これは、即答に近く悩みませんでした。
門を開けるべきではない。規則を作った者にはその規則を重く受け止めてもらうべき。
>処罰を受けようとも人の命を救う事は尊い
でしたか。
なるほど、現実にむやみに従うことをよしとしない、わけですね。うーん、レベル高いです。
でもなあ、盗みかぃ。(まだ、言う)
じゃあ今回は簡潔に。
マルコは門を開けてはダメ。王様はマルコの主人だけれども、王の王たる役割は国家をしかと守り治めることです。だから敵の侵略の危険を冒して決まりを破ることは間違っている。
でも、これは例外とか言うのかなあ・・・(涙)
……と「問い」自体への文句をつけた上で(ほんとのこというと、今までの問いもすべて少しずつ違和感はありました)私の考え方を言うと――むろん王様の病気の程度や、近道と言ってもどのぐらい近いかなどにもよりますが、病気が重く、普通の門まで行ってたら死ぬかも知れないようにひどい事態であれば「開けるべき」。ただし、相手が王様だからではありません。たとえ異国の旅人だろうと、ホームレスのおじいさんだろうと、街でみんなに嫌われているならず者であろうと、そういう緊急事態に際しては「開けるべき」。人間の決めた「決まり」よりも、あらゆる人間の命の方が重い。
なぜなら、扉が開くのは戦いが始まることを意味するからです。
国民も他国もそう思っているはずです。
無用の混乱を引き起こしてはなりません。
元王よ、貴方の行為は王として、してはならぬことをしたのじゃ、ゆえに王として失格じゃ。
伊吹文明よ、お前の行っていることこそが不当な支配である。タウンミーティングでさくらを動因、やらせ質問をさせたこと、それについての責任を明確にしていない事、衆議院で強行採決をしたことである。タウンミーティングは失敗である、当然再チャレンジ項目である事は明白である。
伊吹文明、税金で詐欺したことを認めよ。
お玉さま、
TBありがとうございます。
早速、覗いてみたのですが、道徳的価値ってなんだ?
理論ってなんだ?
モラルジレンマってなんだ?
頭の中、キリキリしてたもんで一旦お休み。
再度で、・・・・・
回答:マルコは門を開けるべきでない!
理由:やけくそ。????? ははははは
お玉さま、この設問シリーズは真剣に考えるほどのことでもなかった=これが私の結論です。
しかし、こんなのが子供の教育の現場で使われることには恐ろしいと感じます。
+お玉さまのここの文章を読みながら思いました。
そうかぁ、だから、・・・・・
パレスチナとイスラエルが争いを止めない原点がここにありそうに思いました。共存することを第一目的とするなら道はいくらでも切り開かれるはずなのに・・・・・
「排除」だもんねぇ、ハナシにならない。
>条件付きでモラルを問われるのは基本的におかしい
おっしゃることは理解できます。でも道徳、あるいは倫理を考える場合に、自分たちの置かれた社会状況に依存するのがふつうの人間だと思います。たとえば所属する組織の文化に反することをすれば自分の立場を失いかねない。たとえば、極端に考えれば今のロシアで自由な言論を主張することは自殺行為になるのでしょう。理想だけで済ませることができない大人の立場としては、そういう側面をふまえた上で現実には難しいけれどもできることならこうする、という挑戦的な思考のチャンスが与えられているように思います。
王様ももちろんケアされてよいはず。しかし彼は自分の王国の平和と繁栄を最大限に守る義務を負っているはずで、ならば自分の都合で軽率に行動することを控えるのが最善ではないか。あるいはマルコに伝令を飛ばして、王国の他の部隊に、救出のための出動命令を出せばよいです。^^
この例では王は自分の命だけでなくもっと多くの人々の命や財産をも考えに入れなければならない、と私は思います。
マルコは門を開けるべきではないだが、王様が本当に瀕死の状態のとき、万が一敵が攻めてきてもいたしかたないとして、門を開けるべきではないのか。でも王の命令に背いたマルコは懲罰を受けないのだろうか。・・・・へへ、これも答えは今晩までなしね〜〜
その場合は・・・
もういっか。笑
もし王様が死にかけてるとマルコが思ったなら、彼は問答無用で門を開けるべきだと思います。そうでないなら突っぱねて構わないのではないかと(城内に連絡を取って医者を呼ぶなどの処置は取れるでしょうし)。
つまり、いろんな考え方にレベルの上下をつけることで特定の考え方即ち(コールドバークの云う所の正義)って奴に誘導されているじゃないかってことだろう?男性的な考え方も有れば、女性的な考え方も有るかもしれん、アジア的な考え方もあれば欧州的な考え方も有るかもしれん。正義は一つではないと俺は思うわけで、これはある種の洗脳って奴じゃないのかなとまで思えるようになったぜ。今日はこんな所だ、あばよ。
「門番として」=職業倫理と考えてよいだろう。マルコには門番としての責務があり、それは戦争を起こさないこと、つまり人の命を守ることである。
一方「家来として」は、相手が王様だから家来ということで、これは人間同士の関係と考えてよいのではないか。対等の関係か主従関係なのかは、あまり関係ない。
一人の人間の生命が自分の目の前で危機に瀕しているときに、自分にできる最善のことをすべき。これは人間としての倫理だ。
このケースの場合、どちらを優先すべきかという問いは、どちらの命が大切か、という問題になってしまう。
続きます。
門番という役割もフィクションだが、このフィクションには直接に人命が関わっている。
王という役割にそって考えるなら、門番は職業倫理を優先し、それでもし王が死に至ったのなら、家来として殉死する? この問いの時代設定からいうと答えはこのあたりだろうが、現代は時代が違いますからねぇ。かえって難しい。

















