2007年01月19日
改憲論者も立憲主義は大事と言っている
マガジン9条編集部より許可を頂きましたので、伊藤真のけんぽう手習い塾の中の立憲主義の項目を引用させて頂くつもりでしたが・・・
津久井弁護士さんが素晴らしくわかりやすい立憲主義のお話を書いてくださいましたので、伊藤さんの記事はまた折を見て紹介することにしました。
その代わりにお玉は「改憲論者」(もう、元、でも条件付き改憲でも何でも良いけど・・)で自民党議員の教育係的存在であられ元々は自民党の新憲法草案の旗振り役だった?(すみません言い過ぎかも)小林節さんのインタビュー記事を紹介します。
以下マガジン9条この人に聞きたいより〜〜
歴史から学んでいない自民党の2世3世議員
| 編集部 | ||
| 小林 | 僕は、日本国憲法はいいものだと思っています。しかし憲法だって国民が幸福に暮らすための道具ですから、古くなれば修正も必要になるだろうし、もっと良い方向に発展させていくべきだと思っています。しかし、どうも改憲と言った瞬間から右翼扱いをされてしまうのですが、僕のは、岸信介(第56、57代総理大臣)が唱えたような、戦前回帰的な改憲論とは違います。 | |
| 編集部 | ||
| 小林 | 民法は、私人間の取引の法、商法は、その中の商売人の取引の法、刑法は犯罪の法、訴訟法(民・刑)は裁判の法、そして最上位法である憲法は、国民が政治権力を管理する法だという、法の基本的な役割分担を国会議員が知らない。 だから、愛国心とか教育とか倫理・道徳の問題に、憲法を直に持ち込もうとするようなことが起こるのだけれども、それは、はっきり言って無知・無教養だからなんだと気がつきました。 そして一部法制局の役人とか、改憲派としては有名だけども憲法学者としては無名な何人かの御用学者が、愛国心を憲法に持ち込むような、彼らのやり方に根拠を与えようとしているだけなんですよ。 | |
| 編集部 | ||
| 小林 |
| |
まあ、お玉って・・お玉って、今日はなんて手抜きなの〜〜〜〜〜(爆)でも、これ、護憲派の人も、改憲派の人にも、読んで欲しいです。何度だって何度だっていいますよ。立憲主義は権力者、強者、自分は間違ったことをしないと思っている人への「歯止め」だとお玉は思います。憲法を守るのは権力者なのです。
今の政治ちょっとおかしいよねって実は思っている日本のおかあさんたちを探したくて・・・・お玉、人気ブログランキングに登録してます。でも改憲派や右派の方だってそう思っている人いませんか?お読み頂けましたら、どうか、ポチッとお願い致しますm(_ _)m
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この記事へのコメント
いいインタビューですね。ワタシは九条の会、井上ひさしさんの講演で、「憲法は権力を縛るもの、法律は国民を縛るもの」ということを知りました。
そして、小林さんと同じ様に「悪意」でそのことをねじ曲げられていると思ってました。でも、やっぱり「無知」だったんですね。さらに聞く耳ももっていない。
そういうアナタは聞く耳を持っているのか? とお玉さんに言われると、確かに耳が痛い……、取り敢えず、改憲派のご意見は聞き、思索しようとは思っているんですが、考えれば考える程、憲法を変えてはいけないような気がしてます。でも、1条に関しては改憲派です。
>愛国心とか教育とか倫理・道徳の問題に、憲法を直に持ち込もうとするようなことが起こるのだけれども、それは、はっきり言って無知・無教養だからなんだと気がつきました。
先生は、立憲主義を理解してない(知らない)議員たちに対して、怒りを通り越して、大絶望してますね。
どなたも憶えていらしゃらないでしょうが、私も以前、彼等の無教養をコメントしたことがあるので、実証できてうれしいです。
喜んでいる場合じゃないですね、これは・・。 恐ろしい事態です。
一政党(与党)の暴走を防ぐ為と米国の一州化を遅らせる為。
で、両院とも与党が自民党なのは、野党が固定目的がない為。
DV加害者で動物虐待が趣味の井上ひさしを神聖化してもな。
去年の自民党案は何処の国の自治区の憲法か判らないので反対。
その時の抗議メールは、「中共国、米国の一自治区じゃ飽き足らないんですか」
ついでに、愛国心教育法は、中共国や米国の様な拡張主義に走るので、これも反対。
非常に権威主義者で、偉そうな反面、面倒見が良く、筋を通す人だと尊敬していたのですが、この人も所詮、この程度かと…2世3世議員が駄目なら、イギリスは、何故貴族院をいまだに設置しているのか、考えたことがあるのでしょうか。
で、小林教授の改憲案は、基本的に「アメリカ型憲法への改変」です。部分社会法理には、めちゃくちゃ否定的で、基本的には、法実証主義に近い立場かと思います。
前の掃除当番の例に寄せられたコメントでも、理解していると思われるのはほんのわずか。ひどいものでは、むちゃくちゃな法律用語をただ羅列した噴飯もののコメントもあり、法律用語を使ったお笑いかなと思いました。
立憲主義というのは、その人の人間性を映す鏡なのかもしれませんね。
(常連しかわからないお話で申し訳ありませんが・・ライト君のコバセン講座に反応して、ま〜た困った君が書きに来てますので・・)
それとやたらと専門用語を使われている方々・お玉のような素人にもわかる言葉で書いてみてください。
前に書いたので、TBした分で、結構『嵌められる』っていうの、ご納得いただけたでしょうか?
>歴史から学んでいない自民党の2世3世議員
この人たちの多くは、他人の書いた『絵』を
眺めて見ているだけですからね。
例えば官僚の。
あの97−98年の山一とか拓銀が、破綻した時の三塚・蔵相[当時]の頼り無い記者会見、覚えていますか?
『これでいいの?』
ダメだから、銀行局長がしゃしゃり出ざるをえなかった時のこと。
この人が今の『森派』の長だったんですから。シナリオをアメリカに書いてもらって、官僚が咀嚼して、スプーンで餌付けしてもらっているといった感じでしょうか?
だから5月の法務委員会で共謀罪審議・強行採決の予定がストップした時に、何が起きたか分からなかった野茂、当然です。
あ、長くなっちゃた。では。
>立憲主義は権力者、強者、自分は間違ったことをしないと思っている人への「歯止め」だとお玉は思います。憲法を守る[べきな]のは権力者なのです。
まあ、大概の人はこれ知っているはずね、少なくとも政治家ならば。
明治初期に「太政官制」でやろうとしたけど、5百円お札の岩倉右大臣とかがいた制度、結局ダメで、伊藤博文さんが井上毅(こわし。漢字あってる?)さんに依頼して明治憲法を創案させた。
天皇不可侵とかになってますけど、立派な憲法でした。でも、昭和に軍部の暴走を食い止める機能、なかったです。それ以前から、多様な文化と政治的言論を養ってこなかったからです。
その危機感の下、鴎外らは文学や演劇を紹介して行く中で、政治的言論空間を創ろうと努めた。
でも大正デモクラシー時代はかなり空疎な成金趣味やったんちゃうかということ。
まだ30年代の15年戦争中の方が凄かった。深い思想闘争=講座派や労農派の農村・小作人争議から学んだ活動の裏づけがあったから。
また、その成果が戦後の「農地改革」=多くの自作農の創出であり、その後の経済成長の基礎になっていること。
ああ、ムズイこと書いてしもた。
ほなまた〜。
怒らんといてね〜。お玉は〜ん。
小林さん>立憲主義の教育を全然してこなかった。それでいま襲われて焦っているわけだからね。
中学・高校両方で「憲法の前文を書け」という試験がありました。高校のときはおまけに、法律は何のために必要か?というのまでくっついていたような気がします。無論、憲法は国民が「国家のあり方」を定めるものだというのは大前提でした。
…「うちの高校浪人しないと偏差値高い大学行かないんだよなぁ」との担任のぼやいてましたが→偏差値高い中高じゃこんなことも教えてなかったのかぁ?→そんなんが官僚や政治家になってるとすると…怖い
いろいろなところで良いブログと聞きましたので、きてみました。
まだ立憲主義を理解できていないのですが、要は個人の人権を守る、ということでしょうか?
自分が思うに、『人権』ってヨーロッパで生まれたものを、そのまま言っているように思うのですよ。
自分は、日本独自の『人権』っていうのも考え、作っていくべきだと思います。
違った文化や伝統を持つ国なので、共通の観念でいなければならない、というのは間違っていると思うからです。
みなさんのように専門的な知識が無いので、憲法改正とか難しいことは分からないのですが、今の社会と合わないなら変えるべきだし、国民が納得すれば変えていいと思います。
文化や伝統を守るためにも人権は重要です。自分が大事と思う文化や伝統が権力者の嗜好に合わないとして踏みにじられてきたのが人権侵害の歴史でもあるのですから。今や日本の文化と言われ国をあげて守ろうとしてるマンガやアニメは、ほんのちょっと前まで文化や伝統に反するものと叩かれてましたね。それでも負けずに描く自由を守って来たから現在があるのでしょう。
人権が守られ自由のない国の文化や伝統はしぼんで行くのみです。
今の日本は、西洋の人権意識をそのままを持ってきて日本の人権としているような気がしていて、昔からあった日本の人権を蔑ろにしていないか、と思ったのです。
西洋で作られ育った人権なのに日本がそのまま使っても理解できないだろうし、間違って使うことも多いと思うのです。
謙譲という意識が強い日本と西洋の個人主義は合わない面があるのでは?と疑問に思いました。
そこらへんは人権でなく、人の生き方によるのでしょうけど。
すみません、ちょっとお玉はよくわからないのだけど・・
>昔からあった日本の人権
って例えば具体的にどんなモノでしょうか?
謙譲と個人主義は相反するものではないですよ。個人主義は自分と同じように他人も個人として大切にしようという考えです。政治家も国民も利己主義と個人主義を勘違いしている人多いですけど。
これが立憲民主主義国家における多数決によって、実は立憲君主国家の時に似た憲法が出来るかも知れない典型的な意見では?
「日本独自の『人権』も考え、作っていくべき」も当然ですね。実は「武州世直一揆1867」の「直」って「世均し」って言ってたようですよ。これって「四民平等」の先駆けだった。しかもこの一揆を子どもの時にみた人たちが、あの秩父事件を起こしたって記録もあるようです。
日本にもヨーロッパに劣らぬ自由と人権を求めた運動があったんですね。天皇が人民の権利を侵害・違背したときは、国民投票で天皇を決めようっていう憲法草案が作られていたのですから。明治の人たちは現代人よりラジカル!
1901年に結成された社会民主党は、危険思想政党として解散。だが18歳選挙権を掲げていた!世界的には20歳選挙権は後進国。国民投票法案で、どうしようかって言ってますよね。
具体的にと言われると説明しにくいのですが、欧米の方は個人がいて社会を作る、日本の場合は社会の一員として個人がいる、みたいな違いがあり、人権の範囲が欧米より小さく設定されているのが日本式だと思います。
それを悪い事とは思わない、というのが自分の考えです。
>>16 通りすがりさん
利己主義と勘違いしたまま、人権を掲げる人が多いように思います。それが人権を間違って使うこと、と思うのです。
本当でしょうか?日本の考えと言うより、明治期に近代化の過程でのドイツの影響が大きいのではないでしょうか?
社会の一員として個人がいると考える場合の社会って何でしょう?きっとそこには個人の利己的な願望が入るのでしょう。自分以外の他人を個人として大切にすることと社会性といわれることとは多くの点で重なると思います。しかし、社会という観念的抽象的概念を持ち出すことはそこに恣意性が混入することの危険性があることを知っておく必要があると思います。
>利己主義と勘違いしたまま、人権を掲げる人が多いように思います。
多いのかもしれません。しかし、人権は多数者に対して少数者が主張することに本質があるのですから、自分が多数者の側に軸足置く場面では人権を主張する人を利己的と見てしまう危険が多いのも事実です。そうならないためには、人権の本質に対する理解が大切です。
お玉ブログでは2回目以降コメントがある方はもはや通りすがりとは言えない・・
なので、次回からはお名前をつけてくださいな。(お玉が命名してもいいぞ!)
最初たまたまここにたどり着いた時に名乗って、まだまだ浅学ですしただの通りすがりのままでいいかなと。何か考えときます。
人権の観念は、実際のところイギリスアメリカフランスドイツ、みんな少しずつ違います。ですが、その各国の出自や過去にこだわらず、何度もの大戦の反省から次第に統一してきているように思います。人権の国際化といわれるものです。
世界人権宣言では、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」としています。是非全部お読みください。日本国憲法とほとんど同じであることがよくわかります。決してどこかの一国が押しつけたものではなく、世界の人の願いが結実したものが日本国憲法であることもよくわかります。
愛国者は、この日本が大好き。そこで生きてきた人々の歴史に学び、その中からつくられた憲法を大事にしたい!
それを失うと自分が自分でなくなり、それを奪うと相手が相手でなくなるような大事なことがらを「人間としての権利」とよぶ。これまで権利と訳されてきた「right」は、一方的な利益の主張ではなく、ものごとに関する正当な主張をまわりの人が納得づくで保障してくれることを意味し、人権とは、人間であるかぎりだれでも正当に要求できることがら、人間としてふさわしい生き方を可能にしてくれるさまざまな条件を尊重せよという訴えが含まれている。(文部科学省検定済教科書「現代社会」教育出版より)
こういうふうに考えると、日本の歴史にも人権の思想と歴史は無尽蔵にある!
ただ、そういう態度に出られるのなら、こちらも言うことをいいます。
前も言いましたが、「よそのブログで削除された」というのは社交辞令のウソです。
お玉さんは度量が広いね、素晴らしい、といいたかっただけで、
本当はお玉さんのお友達でいいたいこと言おうとしたのだけれど、
見事なまでにイエスマンコメントしかなく、自らも「気に入らないコメントは即削除」と言っていたので
何言っても聞く耳持たないな…
と思ってはじめからコメントしませんでした。
コメントしたら即削除でしたでしょうけど。
悪意ある言葉の暴力だと思う。リアル社会で言わない(言えない)ことをここに書かれてあるとき、それはお玉基準で「削除」(それはもはや下書きですらない)だし、何を言っても聞く耳を持たないのはあなたも同じです。
いま、イジメの話してるけど、いじめる側って「アレはイジメでなく悪ふざけだった」と大抵言い訳しますよね。
単にいいっぱなしで書かれている人にはいちいちコメントしませんが、もはや常連化してらっしゃる以上お行儀良くして頂きます。尚、この件に対する意見は受付ません。ご自分のブログでどうぞお書きを・
間違った書き方してしまいました、すみません。
虐待について厳しい国だと、親の行動の自由(夜、子供だけを置いて留守にするとか)は制限されるでしょう。
>>20 通りすがりさん
社会というのは地域社会のような意味で書きました。
村社会と言うのでしょうか?
日本は、風習やしきたりなどを重視しているように思うのです。
内包は同じでも外延は違うことはあると思います。ただ例として挙げられてる、単なる親の行動の自由が人権かな?とは思いますが。まず、「そもそも人権とは」ということへの探求が日本人には足りないですね。
あと、風習やしきたりなどを重視してるのは世界どこでも変わらないですよ。私はアメリカやヨーロッパで生活してみて様々な風習やしきたりに接しましたから。日本より厳しいくらいです。実際に経験してみると、ステレオタイプな日本人、ヨーロッパ人ってあまりいないものです。
















