2007年04月06日
憲法は国家が守るもの。
同じ事を何度も書いていかないと仕方がないのだと、それが「護憲ブログ」やっている意味だと思ってます。
憲法は強者が守るに引っかかりをお持ちの「ごく一部の改憲派の方々」(だってあちらからのアクセスとっても少ないんだもの)のためではなく、憲法について分からない、むずかしいとお思いの読者の方々に向けて以前書いたものをほぼ全文再掲載させて頂きましょうね。
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2006年2月2日 憲法は国民が守るものではなく国家が守るもの
天木直人さんのサイトにとってもうれしい記事が載ってます。
憲法9条の改憲を主張する人々は日米関係を最優先する人である。その人たちは、米国の日本支配によって国民の生命と暮らしが脅かされることを知っていながら、自分だけが助かればよい、自分だけがいい目を見られればよい、損になる事には目を瞑る、黙して本音を語らない打算的な人々である。そのような支配層のまわりに、対米追従政策の犠牲者に真っ先にさせられる事に気づかないお目出度い人が群がる。情報操作に踊らされているとも知らずに、反中、反テロを叫び、右傾化に傾く人たちがいる。
もしも他国が攻めてきたら・・・のお話しをここで蒸し返すつもりはありません。たぶんこのやりとりだけは、どこのブログにも負けないほど活発に討論しましたので、どうかそちらをお読みください。いくら攻めてきたら・・のお話をされても、お玉にとって今問題なのはアメリカに追随する危険性であって、ここは揺らぎません。
なのでお玉や平和主義者のブログ仲間みんな天木さんのおっしゃることがしっくりはまってしまう。↓
その一方、護憲を訴える人たちは、米国の軍事優先の政策が間違っていると考える人である。これ以上日本が米国に従属していくと、我々の安全と暮らしが損なわれる事を正しく理解している人たちである。犠牲になるのは自分を含めた一般大衆、弱者であることに気づいている人たちである。強者であっても、自分の事ばかり考えずに、弱者が犠牲にされるような世の中にさせてはならないと考える人たちである
憲法とは「弱者が強者に守らせるもの、縛るためのもの」
このことは伊藤真さんの本だけでなく、「とりあえず」のlexemburgさんおすすめの浦部先生も分厚〜い「憲法学教室」の中でおんなじことを言ってくださってます。最近お玉は思います。どんなに憲法が難しくっても、何も知らずに憲法改正を「反対」も「賛成」も言ってはいけないのかなあって。
いつも憲法改正問題を討論すると、まず他国が攻めてきたら・・のお話になるけど、その前に憲法ってなによ?を知らないといけないと思う。いま確信を持ってお玉が言えるのはこの四つかなあ。
1,現行憲法は国民が国に守らせるもの。
2,国は憲法を守る義務があるのです。
3,今の憲法を自民党が変えたいのは、国にとって,都合が悪いから。
4,憲法九条を今変えたいのは、アメリカの軍事優先政策のため
なるべく、どんな人にでもわかりやすく憲法を語りたい。
ただ今お玉はその努力をしております・・・
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これだけでは不十分なので、今後また弱者強者については記事を書きます。
日本の政治ちょっとおかしいよねって実は思っている日本のおかあさんたちを探したくて・・・・お玉、人気ブログランキングに登録してます。いろんな人に語りたいから、あんまり過激な事は書かないし、むずかしいことも能力不足で書けません・・それでも、お読み頂けましたら、どうか、ポチッとお願い致しますm(_ _)m
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この記事へのコメント
この所、「同じ事を何度も書いていかないと仕方がないのだと、、、、」
私も同感です。いい記事は何度もあげて下さいね。
何か変な所に反応してすみません(^_^;)。
憲法は国民が国に守らせるもの。国は憲法を守る義務があるのです。の「守る」は、この先憲法が改正されたとしても、当てはまることです。
護憲とは現行憲法を変えずに(文章を)守るということでしょうか?
憲法は国民が国に守らせるもの。国は憲法を守る義務があるのです。の「守る」は、憲法の(内容)を指していると思います。改正せずに守るという意味ではありません。
混同しないよう注意が必要です。
「○○してはいけない」というルールがありました。
ところが、「○○したい」と思った国=国民の多数派が、ルールを変えて、
「○○してもよい」という新しいルールをつくってしまいました。
これを見ていた、とあるおばさんが言いました。
「こらこら君たち、ちゃんとルールを守らなければだめじゃないの」
国=国民の多数派は、胸を張って答えました。
「そんなことはわかっています。ですから私たちは、これからも新しく作ったルールをきちんと守っていきますよ」
現代の福祉主義的要請は、あくまで二次的に求められるにすぎません
伊藤真さんの言葉や小林節の考えを歪めて、解釈し、もしくは一部を都合良く引用し一般の方々に誤った憲法解釈を植え付けるのは止めましょう
あとね、藤原紀香が、あなたがたと思想を異にしたとしても、個人の自由ではないですか?
それを非難する方が、憲法の理念に反する気がしますね
ダブハンは「うっかり間違ってやらかした方々」がチャチな謝罪しかしていないのに、「正直にあやまったのに許さないとは何事だ」と言ってまして・・ばかばかしいのでtottoととみー両名の下書き回しはやめています。過去一万近いコメントを頂きつつも、改憲派、右派の方しかなぜかやらかさない「うっかりダブハン(同じ人が別のハンドルネームを使うこと)」の理由をただいま考え中です。
勝手に人をカテゴライズしないでいただけますか?
失礼だと思いますよ
大事な事を忘れています。
『○○してはいけない』の続きに『このルールは手順を踏んで多数決で変えれます』としっかり明記されています。
謝罪と繰り返さないという誓約と故意ではなく過失であるという弁明以上になにをすればおたまさんは満足してくれるのでしょう?
そして本当に大切なことを有意義に論じあえるのでしょう?
あなたも大事なことを忘れてます。
多数決で決めてはいけないこともある
http://magazine9.jp/juku/003/index.html
また「どんなにアメリカが無茶苦茶な事を言っても日本は『主権国家』ですからそれを拒否できるんです。」とご自身ブログでお玉に教えてくださったお礼に・・石原慎太郎氏も絶賛のこの本をお薦め致しましょう
「拒否できない日本・関岡英之著」
http://www.amazon.co.jp/%E6%8B%92%E5%90%A6%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%B9%E9%80%A0%E3%81%8C%E9%80%B2%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%82%8B-%E9%96%A2%E5%B2%A1-%E8%8B%B1%E4%B9%8B/dp/4166603760
個人的な思い込みとは比べようが無い位重いはずです。
憲法が大切なら憲法に従いましょうよ。
拒否できるけどしてない、が分かりやすいですかね。
制度的に法律的に拒否できないのであれば主権国家ではないですが、そうではないですよね。
対米追従の危険は分かっているつもりですが憲法は別問題です。
うっかりダブハンをきちんと申告するか、ダマテンで済ますかの違いでは?
見方を変えれば、改憲派や右派は
「間違いをしたら自ら認めて謝罪する」
をきちんとやっており、そうでない方は
「間違えても見つからなきゃ」
であるから見つけられないではないかと。
「だれが決めてはいけない」
と決めるのですか?
その「決めてはいけない」という認識すら多数決なしで全て決められるのでしょうか?
>誰も死んではいけないし死なせてはいけない。
第二次世界大戦後も他国の侵略により、日本人(民間人)に死者が出ていることをお忘れなく。
んで、とみーくん
>そして本当に大切なことを有意義に論じあえるのでしょう?
しょうがないなあ・ダブハンだと言われた後、・あなたのお書きになる内容に対して、お相手することをみんなから(お玉にアグリーなコメンテーターでなくても)時間の無駄だと言われるほどに突っ込まれていたでしょうが。
http://otama.livedoor.biz/archives/50640041.html#comments
もちろん、変えてもいいんですよ。
但し、変えてしまったら、
もう「守った」ことにはなりませんよ、というのが一点目。
これはさんぼさんへのコメントです。
次に、国=国民の多数派に守らせるためのルールを
国=国民の多数派が、
簡単に(例えば多数決で)変えてしまえるとしたら、
ルールの存在意義がなくなりますよね。だから
「96条の規定(変える特には多数決で変えざるを得ないということ)を具体化する作業(国民投票法案などのルールづくりですね)は、実はとても難しいことなんだ」
ということを、まず国民がみんなで(多数派も、少数派も)確認する必要があると思うんですよ。
話はそれからです。
> 多数決で決めてはいけないことを
> 「だれが決めてはいけない」
> と決めるのですか?
いいところに気がつかれましたね。
「多数決」というのは、しょせん、その時々に生きている人(正確には有権者)の意思表示に過ぎません。
しかし「多数決で決めてはいけないこと」は、我々の先達が尊い犠牲と引き換えに、我々に伝えてくれたことなのです。
もちろん我々は、「多数決」によって、これをなかったことにすることができます。
しかし、あえて「多数決では決めない」と決めること(これは多数決で決めることです)によって、
先達が伝えてくれた「多数決で決めてはいけないこと」を
子孫に伝えることもできるのです。
このように、どんなに多数で決めたことでも、憲法に違反することは許されない。至極当たり前のことで議論の余地すらない。
その守るべき内容を規定しているのが憲法だ。
で、その内容を変えること=改憲と、憲法自体の役割とは、全く別の話。
いくら憲法を変えても、その憲法に違反する多数の横暴は、やはり許されない。
こんなことも分からない方は、せめて憲法の入門書の一冊でも読んでから発言していただきたい。
最近、ここの改憲論者の質の低下はひどい・・・
同じことを、大切なことを、何度でも
何度でも、書いていきたい、話していきたいって思います。
今議論中の改憲方法に慎重さが求められるのは当然です。
>もちろん、変えてもいいんですよ。
但し、変えてしまったら、
もう「守った」ことにはなりませんよ、
少なくとも憲法の改正規定に則って改正されるなら『違憲』ではないはずですよね?
で、『守った』というのは何に掛かる言葉なんですか?
少なくとも『法律の遵守』ではないでしょうから、やはり『理念』なんですかね?
『理念』って何なんでしょうね?
憲法に関してはそれがきちんと明記されていない以上、結局は個人なり集団なりの『思い入れ』に過ぎないと思うんですがね。
「有権者」「生きている人間」どちらですか?
また逆に国民の半分の賛同があれば帰るべきという考えですか?

















