2007年04月24日
知らない事の罪
#なんか、おとといくらいからブログの調子が悪いですが・・コメントもTBもいったんエラーになるのですが、きちんと届いてます。下書きに入ってるので、すぐには反映されてないけど、大丈夫です。
一生懸命何か書きたいと思うのに書けない自分がいます。
でもこの一言が書けるようになっただけマシだと思います。
きっかけは・・長崎市の伊藤市長の死だったかもしれない。
ただ、お玉はいつもその場では自分自身の心に気がつけないので、、「何となく」ああ今は書きたくないんだなと思ってた。
お玉の「なんとなく」と対峙させてくれたのは華氏451度さんでした。
あの方の書いているエントリー「私の原罪」
華氏さんたら無神論者のくせにこんな題名つけるんだもの。
お玉がこのブログをはじめてからずっと心の奥にあるのは、「知らない」事への罪の意識です。知らぬうちに踏みつけてきた沢山のこと、知っているつもりでよく調べもせずに語っていたさまざまなこと・・
普段はそういうことがあっても一生懸命調べて、お玉が間違えたらここで、誰かに指摘してもらって、・・今まで続けて来れた、もちろんこれからだってそうしていきたいです。
でも、彼の死は本当に重かった・・今も重い。そう、華氏さんも書いているようにあまりにも重要なことが重なりすぎていることに一因しているんだろうなあ。
ひとを殺すという究極の暴行がおこなわれた、(むろんピッタリ同じではないけれども)ほぼ同じ時期に少年法改正案が強行採決された。教育基本法、国民投票法……エトセトラ。畳みかけるように連続する強行採決のおぞましさ。この国は、いつから独裁政権になったのだろう。それを許し、指くわえて見ていることも、私の原罪なのだと眠れぬ夜に思う。(華度451度、私の原罪より)
自分のできるところを一歩ずつやっていくしか無いんだよね。分かってます。
でもこの頃つい、華氏さんと同じ事を思ってしまう。
指をくわえてみている私の罪
何かアクションをおこしているときでさえ、背中に「罪」を感じている・・
今、お玉の中で、その背中の重さがピークです。
だって、あまりにも・・あまりにも大事なことがあっさり国会で決っていくのですから・・・・何に対して感じている罪かと言えば・多分未来を生きる子供達に対して「きちんと守ってあげられない」事への罪の意識かもしれません。
で、そんな中でお玉の頭をかすめたのは中島みゆきの「宙船」
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
お玉ごときが消えても喜ぶヤツはいないでしょうが、お玉のオールを手放すわけにはやはりいかないのだ。
わわわ・・華氏さんに釣られて、なんか、脈絡無い文章になってしまったぞ・・どうしてくれる!!
さあ、お玉はこれからも、知らない事への罪の意識を感じつつ、なんとか謙虚に文章を紡いでいきたい・・・
日本の政治ちょっとおかしいよねって実は思っている日本のおかあさんたちを探したくて・・・・お玉、人気ブログランキングに登録してます。いろんな人に語りたいから、あんまり過激な事は書かないし、むずかしいことも能力不足で書けません・・それでも、お読み頂けましたら、どうか、ポチッとお願い致しますm(_ _)m
人気ブログランキング←ここ、ここクリック(^^
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
ブルドーザーか装甲車で押しのけられ
ちゃうみたいに、どんどん問題法案が
通されて、伊藤氏の事件もあって
本当にめげそうになっちゃいますよね。
あ〜、このまま改憲まで持って行かれちゃう
のかな〜って、ひしゃげちゃいそうになる時があるです。
でも、めげたら負け、相手の思う壷かも
と思うと悔しいので、ともかく何か書こう
みたいにして、更新している今日この頃です。
私は最近、開き直って来て、要は3〜4年後の
国民投票でひっくり返せばいいんでしょ〜
ぐらいの気持ちでやって行こうかなと思うこと
があります。
もし原罪というものがあるなら、それは
み〜んなにあるものだと思います。
それに、お玉さんは、みんなに大事なこと
を気付かせて下さる布教者ですから〜。(~~)
まだまだ道は長いですから。
お互いにp(*^-^*)q がんばっ♪です。
たとえ愚かしい歴史が繰り返されようとしても、我々はできることをできるなりにしていく事しかできないし、またそうすべきだと思います。
私もできる事からがんばります。
「あきらめたらそこで試合終了だよ」by安西先生(しまった、また漫画ネタを・・)
カークさん、
>知らせないと言うのはもっと悪い罪
本当にそうですよね。
伝えないマスコミの「伝えなさっぷり」やあの手この手をしっかり覚えていこうと思います。
>伝えないマスコミ
伝えないマスコミと,そのマスコミに君臨し圧力をかけている自民党が,鉄面皮にも「環境権だけでなく、『知る権利』を明記するためにも憲法改正が必要!」と主張しているのだから・・・?
この国のリーダー達の国語力と読解力は、一体どうなっているのでしょう。
識者と議員にこそ、一斉学力テストを!
私も罪多きものです。日々の生活に追われ、意地やら体裁やらに惑わされ、的外れもイイトコの人生です。今のこの無力感を自分なりに解消するには、開いてゆくことだろうと思っています。一人でも多くの人と語る場を作って行こうと思っています。人それぞれ、勉強の場を作ってゆこうとしている地元仲間もいますし、お玉さんのような広がりを作っている人もいる。とにかく物凄く多くの人が直に語り合い、発言し始めることからしか先はないでしょう。
さっきチラッと・・・29日の午後9時NHKスペシャル「日本国憲法」だそうです。
>華氏さんに釣られて、なんか、脈絡無い文章になってしまったぞ・・どうしてくれる!!
あ、それは「自己責任」ネ(笑)。
慰霊日の前日8日の午後、市民会館での『長崎虹の広場』に参加し,伊藤市長の話を間近で聞きました。
時々冗談を交えた楽しい話の後、会場から「市長! もっと頑張って!」と、平和への更なる奮闘を要請され、「頑張ります!」と笑って応えていた市長の姿が今では懐かしく思い出されます。
この日の気さくな印象が強かっただけに、翌日の平和祈念式典での伊藤市長のスピーチの鋭さには非常に驚かされ、深い感銘を受けました。
2006年8月9日の長崎平和宣言
『人間は、いったい何をしているのか』
今や伝説となった、この平和宣言は、「無知な日本国民への遺言状」です。
当にショックでした。あきらかに政治テ
ロだったのに、テロ集団の描いたシナリ
オ通り、個人的怨恨と言う情報操作の片
棒を担がされたマスコミによって、「世
襲を許さない」と云う見当違いなスローガンが正統化されてしまい、市職員が立候補し当選してしまった。長崎市だけにとどまらず世界の平和をも希求してやまなかった崇高な伊藤市長の理念である平和行政の息の根を止めてしまったのです。この時長崎市民が試されたのは、「世襲を許すか情を取るか」などという浅いものでは無く、長崎市民が人として、これからの正義と平和を選択出来るかどうかだったのだと思います。今回、正義と平和を選択出来なかった長崎市民は、将来に大きな禍根を残す事になるでしょう。それは、いずれ時間が証明するはずです。言葉に出来ないくらいに残念な事です
。

















