2007年07月01日
平和は「退屈」ですか
こんなかわいらしいバナーがあります。
まだ、詳しい事は公表されていませんが、ワクワクします!日本から世界に向けて9条と平和について発信する世界会議・・・素晴らしい企画です。
「一億人死ぬ状況で、それを防ぐために一千万人の犠牲は仕方がない、だろ。何が問題なのかさっぱり分からない。」
というコメントがありましたが、こういう文章を書いている若者は、別にお玉への嫌がらせで書いたわけではなく、多分本気でそう思っているのだと感じます。
「戦争体験を語り継ぐ」この言葉の意味と行為について、念入りに、深く考える事は、平和を鍛える事だと思う。けれど、これまではそうされてこなかった。「戦争体験」に新しい、そして普遍の価値を切り開いてもこなかった。ただ、この言葉に寄りかかってきただけだと思う。努力の不足が、かつて戦死したたくさんの若者の、ひとりひとりにはたった一つのいのちを。”美化”という形で、ふたたびの戦争へ向かう者らに利用させる。
この本は沖縄の「ひめゆり元学徒隊員」と高校生達の平和学習会を通して見えてきた「伝える側と聞く側の隔り」を時間をかけて解きほぐし、次世代に「沖縄」を伝える人を何とか育成しようと続けている両者の本音を丹念に描いています。
「言葉が心に届かない!」学徒隊の話を聞いたある女子高校生のこの言葉や「戦争?したっていいじゃん」と言い放つ男子高校生。(彼はそのくらいの爆弾発言がないと平和学習は先へ進めないという事をあらわすためのわざと言った発言だったが)
語り部達が受けるショックは大きく、・・・でも単に悲惨さを語って、聴衆に涙を流してもらう事だけでは、次の世代へ継承出来ていかないのではないか・・という悩みもあり、若者達との話し合いを続けていく・・
若者達は語り部達に、戦争とは関係の無いような質問(若いとき、何が好きだったとか、学園での楽しい想い出はなに?など)をするうちに目の前のおばあさん達が自分たちと変わらない普通の高校生だった事に気がついていく・・・・
ここを見ている若い人にも、平和を語り続け、活動しているおじさんおばさんにもみんなに読んで欲しい・・・
平和は退屈なんかじゃないんだよ。
一億人の命が危険なとき一千万人の死で勝ち取れる「平和」などと言うものは存在しない。そんな「感性」だったから久間防衛相は「広島の原爆投下はしょうがない」と心の奥にあった本音を語ってしまったのだとお玉は思います。
今の安倍政権とてもおかしいよねえ・・・と気づきだしてきた、日本のおかあさんたちを探したくて・・・・お玉、人気ブログランキングに登録してます。いろんな人に語りたいから、あんまり過激な事は書かないし、むずかしいことも能力不足で書けません・・それでも、お読み頂けましたら、どうか、ポチッとお願い致しますm(_ _)m 二つもあってごめんなさい・・・
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
言われてみれば、「北海道をソ連に獲られないためにも、原爆投下はしょうがなかった」というのも「一千万が死んで一億助かれば、勘定は合うからいいじゃないか」というのも感性は同じですね。
遥かな記憶の糸を手繰れば、そういう差引勘定だけの短絡的な理屈は、私も昔、大人に向かってずいぶん捏ねていたことがあるような気がします。(汗 だから、例の投稿者が少年ならば、この先、少なくとも私程度には成長する見込みはあるでしょう。(どうせなら、もっと成長してね)しかし、久間さんは・・・・
平和は戦争の反対語で、戦争にただ巻き込まれていないか、国が乱れていない状態を指す。
よって、今の日本国は平和かというともはや平和でなくなりつつあると言える。
外国人が日本国内で問題を起こせばそれは平和の破壊と見てよい。例外的に日本人の大多数がそれを容認すれば平和の破壊とはならないが…そんな事例はほとんど皆無でしょう。
日本国に存在する多数の不法移民が存在するのも平和の不安定要因となる。
全くもって馬鹿らしいことだが、平和が叫ぶだけで手に入らないことに早く気がついてください。
平和は、少しの不安定要素でも壊れる事も理解すべきでしょうね。
今の日本は平和ではなくむしろ戦時下だと私も思っているので、アラ馬鹿陽クンと意見が合うなんて、と思っていたら、次の行でコケた。(^_^;
外国人の犯罪より日本人の犯罪の方が圧倒的に多いのに、何言ってはるんだか。けど、
>平和が叫ぶだけで手に入らないことに早く気がついてください。
>平和は、少しの不安定要素でも壊れる事も理解すべきでしょうね。
というのには賛成。だから軍事力を強化して近隣諸国の信頼を失うような愚行に走るのではなく、外交を洗練させていく必要があるのですよね。
さすがお玉さんのところの常連だけありますね。(笑)
こういった発言をする人は「自分はその犠牲となる一千万人の中に入らない」と思っているんだと思います。ゲームや映画感覚なんでしょう。自分はプレーヤーで、鑑賞者だから傷付かないし、死なない。
久間防衛大臣も同じではないでしょうか「戦争が起きたって、原爆落ちたって死ぬのも被爆するのも自分じゃない」だから、あんな発言が出来るのだと思います。
しかし、これは現実です。自分や大切な人がその一千万人の中にいて、それでも「しょうがない」で済ませる事ができるでしょうか?
過去に悲劇は起きてしまいました。だから残された人々は「何故防げなかったのか」を考え、二度とこんな事が起きないように努力しなければならない、と思います。
久間防衛大臣の発言は、悲劇を回避する為の事前責任を負うという責任感が欠けている事をあらわすものだと思います。
例えば、会社が危機に陥った時、倒産しないようにいろいろな策を講じたりするのが重役や社長の役目である筈です。なのに「自分達は株があるし、倒産しても損はないから倒産したってしょうがないや」と言って、まったく危機回避にならない仕事の命令ばかりするとしたら、その会社の社員はたまったものではありません。
無責任感覚の防衛大臣では、その国はたまったものではありません。
これは左派右派への揺さぶりでもあり真に日本を考えるならば左翼右翼共に親日でなければならないと感じています。
JNNのニュースがyoutubeにあがっています。http://jp.youtube.com/watch?v=niUpvXuLgG0
しんちゃんたらまた熟語の使い方間違ってますね。
しどろもどろでQ間の弁護をしていて「(長崎県人として)忸怩たるものがあるという被爆地としての考え方を披瀝」だって。被爆者がなんで忸怩たる思いを持たなきゃ行けないんでしょうかね?
「慚愧」に次ぐ歴史的「誤用」です。あ、漢字一文字の件もありましたね。ああ、美しい国の最高権力者の貧しい国語力!
誰が一字一句間違いなくこの発言をされたかは存じませんが、あらゆる手立ての結果、最終的な2択しかないのなら、その通りでしょう。ある意味責任ある立場ならば逃避せず判断しないといけません。(だが今話題の大臣は責任感がありそうには見えないが...。)
社会人経験者なら会社経営の厳しさは多少なり分かると思いますが、理想通り進めるにも多少の犠牲はあるはずです。軽く考えている人こそゲーム感覚と言えましょう。
人間生きること自体、何かの犠牲の上に生きているのは代えようの無い事実ですからね。生き残った人は出来うる限りの礼を尽くすことです。もしくは無礼な発言や行動は避けるべきですね。
と聞いて見たいですが、「私ならそんな状況にしない」と答える方が居そうなので止めときます。
全員を救う素晴らしい案があるのなら隠さずに広く知らしめて下さいね。
コギト>あるでしょ! ほら、あなた方が嫌いな、あの憲法9条です。
天木さんも、「考え抜いた末に、憲法9条が平和実現に一番効果的との結論に達した」と、書いていました。
会社員は、「会社が潰れてもいいのか」と脅され低賃金に甘んじています。それでも首になってしまうこともあります。そうなると会社が存続しようがしまいが意味がなくなります。
同じように、国に勝手な行動をされて、殺されてしまった住民にとっては、国もヘチマもないということになります(多分家族も巻き添えで死んでいるだろうし)。
死後、生き残った遠い親戚や赤の他人にいくら礼を尽くされても、かけがえのない命を捧げてくれたとほめられても、いつの間にか靖国に祀られて英霊と崇められ毎年終戦記念日に哀悼の意を捧げられても、死んだ者はちっともうれしくないのです。
死者の本心は、ただ一言、「ふざけるな! 久間、安倍!」です。
確かに人間死んだら終わりです。
が、靖国の英霊が死んで嬉しいはずはないかもしれないが、英霊の皆さんはある使命を帯びて戦いに向かったのです。
ただただ、あなた方のように戦争反対9条死守とか生暖かいスローガンが隣りの支那人に通用するかのか考えてみては如何か。
あるいは支那の軍事力は良い軍事力ですか?



















